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ニートの定義【ニート論を語る前に】

ニートに関するブログを書くにあたって、ニートという言葉の定義をはっきりとさせる必要があるでしょう。
今日は言葉の定義としてのニートと、僕が思うニートのそれぞれの定義を考えてみます。

言葉としての定義

まずは言葉としてのニートの定義を見てみましょう。wikipediaでニートという言葉を調べてみます。

『ニート(Not in Education,Employment or Training, NEET)とは、就労、就学、職業訓練のいずれも行っていない若者(15〜29歳)を意味する用語である。』

wikipediaより

とあり、働いておらず、学校に通っておらず、求職活動をしていない15〜29歳の若者のことをニートと定めているそうです。
ただこの年齢の部分に関しては、日本では独自に15〜35歳と定義したことがあったり、現在ではそもそも年齢の枠を設けず全世代で統計を取るなど、ニートという言葉の枠にとらわれない集計や研究がされているようです。

そもそもニートという言葉そのものに蔑称としての要素があり、テレビなどでもあまり使われなくなっているようですが、僕がこのブログで使用するニートという言葉はそういった蔑称の意味はありません(僕自身を蔑む意味で使うことはあるかもしれませんが)。当然、政治的な意味もありません。

とにかく、働いておらず、学校に通っておらず、求職活動をしていない状態の人をニートと呼ぶ、ということです。

よく仕事を辞めて「しばらくニートになります」と言う方もいますが、そう言う方は大抵ハローワークに行って失業手当などを申請していることが多いので、こういった方はこの定義でいうと「求職活動をしていない」に当てはまらないことになるので、厳密にはニートではないということになります。

ニートで居続けるというのは実は相当なハードルの高さがあるということがわかるでしょう。

僕が思うニートの定義

言葉としてのニートの定義とは別に、僕が思うニートの定義というのをお話ししておきましょう。

僕は脱ニートをする時に、「就職すること」を当初の目標として活動を始めました。その第1歩としてとった行動は「ハローワークに行く」ということでしたが、この時に求職者登録をしています。ニートの言葉としての定義でいえばこの時点でニートとしての資格を失っていることになります。
しかし当時の僕はそれで脱ニートが完了したとはせずに、あくまでも「就職すること」をニートを脱する条件にしました。

さらに、職業訓練を終えて就職活動を(ちょっぴり)していた僕ですが、最終的には就職をせずにフリーランスで活動することを選びます。つまり就職すらせずに、脱ニートを果たしたことにしたのです。

この時に僕が何を持ってして脱ニートとしたのか?
それは、「自らの意思で人生を進める選択をできるようになったこと」です。
短い言葉にするならば、「主体性を獲得したこと」でしょうか。

自分の人生を自分で歩む

僕がニートだった時代は、自分の人生を顧みることなく、現実と向き合うことなく、親のすねをかじっていることを正当化して、自分の人生を自分で歩もうという意思が欠如していました。
だから、仮に何かをしていたとしてもそれはただの暇つぶしの域を出ず、誰の何の役にもたたない無駄な時間を過ごしているだけ、という事実と実感がありました。

自分の中で脱ニートを果たしたと思った時には、それまでとは考え方も感じ方も全く違いました。
これから先の人生で何があるか、どうしたらいいかはわからないし不安だらけだけど、逃げることもあるかもしれないけど、最終的には自分で決めて、自分で行動して、自分で進まなければならない。いつか死ぬその時まで、自分の命を自分で使っていく。そういう決意といいますか、覚悟といいますか、そんな大層なものではないかもしれませんが、そういう気持ちになっていました。
その自分の人生が誰の何の役にたつかはわからないままでしたが、どこか心の片隅で「きっとだれかの役にたつだろう。それが仕事をするということだろう」という確信のようなものがありました。

自分の中でそんな心境の変化に気がついた時、僕は自分が脱ニートを果たしたと感じたのです。
自分の人生を自分で歩むことが脱ニートの定義、つまり、自分の人生を自分で歩んでいない状態をニートと考えています。

2つ以上の定義

言葉としてのニートの定義と、自分が思うニートの定義。僕はどちらもそれぞれの指標として持っていて良いと思っています。どんなに自分の意思で人生を歩んでいても、事実として仕事をしておらず学校にも行っていない、働く意思もないという「状況」は存在します。
その状況であったならば、周りから見ればニートであることには変わりありません。どんなに「僕は自分の定義ではニートじゃないんだ!」と言っても誰も気にもとめないでしょう。

ですが僕は、自分がそういった「事実と自己認識がずれている状態」を経験しているからこそ、世の中のどこかに色々な定義で存在する「ニート」の方々を、一辺からの視点だけで定義づけしたくないと思います。

きっとそれぞれに過去があって、理由があって、ニートでいるはずで、それぞれの人生のしかるべきタイミングで脱ニートの瞬間がきたり、来なかったりするのだろうと思うから、一部の考え方の定義を押し付けることはしたくないです。

それを踏まえた上で、このブログでは一般的な定義のニートという言葉と、僕が思うニートという言葉、そして無数にある誰かのニートという言葉を意識して、記事を書いていきたいと思います。

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