RUN NEET RUN

僕がニートになった日

周りにニートになると認識された日

正直なところ、僕がニートになったその日のことをあまり覚えてはいない。
2010年3月1日に高校の卒業式を終えたその日をニートになった日とするならばそうというだけで、多くの人が新しい環境や新しい挑戦をする時のような高揚感や不安感というものは感じなかった。
なぜなら卒業式を迎える時にはすでに、受験期で1ヶ月ほど学校にもまともに行ってなかったため、ニートらしい生活は始まっていたからである。

願書を受け取らなかった日

高校3年生の秋、当時センター試験と呼ばれていた共通テストの願書が配られた。

「願書使わない生徒は返すように〜」

と先生は言うが、僕が通っていたのは進学校で、仮に推薦やその他の受験でセンター試験を受ける必要がない生徒でも記念に受験するのが通例であったから、誰も願書を返す生徒はいなかった。
そんな中、推薦入試もAO入試も受けていない僕がただ一人願書を手放した。

これが僕が正式に周りにニートになることを宣言した瞬間であった。

それまでも受験しないことは語っていたが、誰も本気にはしていなかった。進学校故に、大学に行くのが当たり前でどこの大学に行くか?の会話しか存在しないはずの教室において一人「進学はしない。就職もしない」と言い放つ人間はフィクションでしかなかっただろう。
おそらく多くの人が僕のことを「全然勉強してねぇわwww」と言って実は裏で勉強しているといった類の人間だと思っていたに違いない。

そんな中での願書を受け取らないという行動である。
ようやく周りの人間に僕が本気でニートになることを信じ始めた。

自分がニートであると自覚した日

周りからニートであると認識されたのは、前段の通り遡れば高校3年生のうちに済んでしまったことであったが、こと自分自身はどうなのかといえば、非常に曖昧である。

高校を卒業してからも時々友人から連絡が来て会うこともあったが、その度に必ず聞かれる質問が「今何してんの?」の一言であった。
友人からすればニートで学校にもいかず仕事もバイトもしていない人間が何をしているのか興味があって然るべきである。

それに対して僕はどう答えていたかと言うと、ざっくり言うと「何かしている風」な回答をしていた。実際に何をしているかといえば、ゲームをしたりアニメをみたりといった時間の浪費と、誰にも言わずにひっそりと小説を書いていたくらいで、表に出るものも実のあることも何一つしていない、つまり「何もしていない」状態に違いなかったはずである。
にも関わらず、どこかで「何もしてないやつと思われたくない」という欲があり、何かしている風を装っていたのだろう。

そしてそれは脱ニートを心に決める3年半後まで続いたのである。

僕が自分自身がニートであると認識したのはきっと始めからなのだろうが、ずっと自分がニートであるということから逃げて過ごしていた。自分はニートじゃない、何もしていないわけじゃない、自分は行動しているんだと自分に言い聞かせながら、部屋の中でじっとしていたのだ。

僕が自分をニートだと本当の意味で自覚したのは、きっと脱ニートを志したその時なのだと思う。

僕がニートになった日

脱ニートを果たしてからの僕は、ニートだった時の僕と比べると大きく違う。
ニートを脱してからの僕は、むしろ積極的に4年間ニートであったことを周りに話していたし、なんなら名刺にも書いてある。
なんの経験もない中でフリーランスを始めた僕にとって4年間のニート経験は他の誰にも持つことのできない強烈なアイデンティティになっていたのである。

ニートであった時代には自分をニートだと認めず、ニートを脱してからの時代には過去の自分を明確にニートだとしているわけだ。
そう考えると、事実として僕がニートになった日とは別に、自分で自分のことをニートだと認め受け入れたその日も、ある種僕がニートになった日とも言える。

2014年2月10日のニートの日(自称)に脱ニートに動き出したあの日、僕は真のニートになったとも言えるだろう。

ニートとは、自分がそう認識するだけでもこれだけのことを考えなければならない、そんな面倒くさい生き方をするものなのである。

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